クオリアについて

人工無能からの連想。
まあ、現状としてはバズワード以外の何者でもないのだけれど、私はそれなりの価値がある概念だと思っている。クオリアを仮定することによって今までより綺麗なモデルが立てられるという価値があるという意味で。
数学--物理学--化学--生物学(神経科学)と続く自然科学の系列と、認知科学--心理学--……と続く人文科学の系列との間に断絶があることは理解してもらえると思う。その断絶の人文科学側の端に現在の認知科学で扱っているよりももっと細かい、意識や認識の素単位が存在している可能性は十分に考えられる。もしそのようなものがあったとしたら、それをクオリアと呼んでも良いのではないか。
wikipedia:クオリアの物理主義的立場に近いのだろう。でも

だが一般に、こうした物理、化学的な知見を積み重ねても最後のステップ、すなわち「この波長の光がなぜあの「赤さ」という特定の感触を与え、この範囲の光はどうしてあの「青さ」という特定の感触を与えるのだろうか」といった問題は解決されないまま残されてしまうことになる。

というのは擬似問題だと思う。「この波長の光が与える特定の感触をなぜ「赤さ」と認識し、この範囲の光が与える特定の感触を「青さ」と認識するのだろうか」というように語順を入れ替えただけで認知科学の問題になってしまうもの。