メタメッセージ

http://practical-scheme.net/wiliki/wiliki.cgi?Shiroの(2009/10/04 02:02:25 PDT 空気読み会話は日本人の専売特許じゃないよ)より。

その作品を読んだことはないのでもしかすると想像を絶する空気読み会話なのかも しれないけれど、一般的に言えば、会話文にメタメッセージ(subtext)を 載せるのは現代のテキストなら洋の東西は問わず普通のことで、 上のブログで紹介されている作品も解説を読む限りでは 「西洋人に理解できない、日本的なやりとり」であるようには見えない。

私もこの日本語特殊論は気のせいだと思う。もし違いがあるとしたらメタメッセージの載せ方くらいのものではないだろうか。

ギムレットには早すぎる。

メタメッセージで会話する場面が多いジャンルと言えばハードボイルドが思い浮かぶ。それらの台詞が名台詞だとみなされているのは、その音の響きが良いからではなく、メッセージとメタメッセージの二重性に負うている面が大きい。銃や拳での対決よりも口先での腹のさぐり合いこそ見所だ、という読み方も有力ではないだろうか。

お父さん、ぼくには引用癖がついたようです!

例えば、聖書やシェイクスピアの一節に準える比喩がある。これなどは文字通りに読んでも意味がないものの代表だろう。「To be, or not to be」を捩った台詞がどれだけ書かれてきたことか判らないが、そこで使われている言葉自体よりも、話者が自らを悲劇の主人公とみなしている、という点を押さえる方が大抵は正しい。
日本の近代小説ではこのような比喩が使われる例が少ないが、その代わりに諺や故事成語に準えることが多い。

〆。

ここで書いたものも大した違いじゃないよね。とりあえずナボコフを読むべき。読者に向かって全力で殴りかかってくるという意味で。