局所ブームとその占有の是非について、またはサークルクラッシャーの続き

返事と追記を兼ねて。
失われた時を求めて』中盤でも描かれていたような十九世紀〜20世紀初頭のサロンには上流階級の夫人や高級娼婦が主催していたものが多数あり、当然のことながら色恋沙汰のスキャンダルも繰り返されていました。で、時には決闘騒ぎが起こり、敗者が屈辱と共に去っていったりもしたわけです。*1
当時のように制度化された決闘(とそれを認める文化)があれば、個人間で問題が解決できるのでサークル崩壊という事態にまで至らないですむのではないかとも思います。まあ、問題が個人間で収められないことがつまりリテラシーの欠如なわけですから、本当に駄目なところは駄目なのでしょうが。
……ううむ、まとまっていない。

*1:実際は死んでしまう人も多かったらしい。決闘さえしなければ大作を物したであろう人は幾らでもいたはずで、後世の人間としては勿体ないとしか。