列挙式

自由度の話の続きと言えないこともないのだが。
ゲームの宣伝では「○×ができる」を沢山並べると魅力的に見える。これが顕著なのはMMORPGで、「戦闘ができる」「生産ができる」「商売ができる」「ロールプレイ(=演劇)ができる」といった文句を並べたものが多い。この路線を突き詰めて行くとワールド・シミュレータになる。
しかし、プレイヤーが同時に楽しめるのはそのうちの一つだけなのだ。自由度が高いことが良いことだと言えるためには、沢山の選択肢があるだけでは十分ではない。その選択肢それぞれに選ぶ価値と理由がなくてはならない。しかし投入される資源は有限であり、選択肢が多いことはしばしば各々の質の低下をもたらす。一点集中すれば90点になる力を分散させた結果として70点が5つになったとしたら嬉しいだろうか。
また、現時点ではどんなに自由度の高いゲームであっても、ゲーム内に含まれる選択肢の幅はゲームを選ぶという時点の選択肢の幅よりもはるかに小さい。広く浅いゲームが多数あるよりも狭く深いゲームが多数ある方が豊饒と言えるだろう。
余談だが、MMORPGや対戦を主眼としたゲームなどでは、参加者数が多いことがゲーム性に繋がってしまう。これはゲームを選ぶという選択肢を狭くする。このような状況では一つのゲーム内に含まれる選択肢は多い方が良いかもしれない。