レイヤ

さらに勢いで書く。文章は雑。
前述の言語やフレームワークの採用はしばしば流行によって左右されることがある。商売の面から見れば流行に乗った方が売れやすいという点では間違っていない。
しかし、技術に基づいて決めるべき事柄を政治に基づいて決めることの愚かさは技術に興味がある人ならば誰でも知っているはずだ*1。流行だけで作ったものはすぐに陳腐化する可能性が高い。
何にせよ、自分の利得を最大化するということに論点を絞ってしまっても話は出来る。技術に基づいて決めるというのは全体の利得を最大化する発想だ。逆に政治に基づいて決めるというのは全体の利得における自分への配分を最大化する発想だ。この二つは車の両輪のようなものでどちらが欠けても利得を稼ぐことは出来ない。
ただし、技術力の高い人は他の技術志向の人から一目置かれる、つまり少々の政治力を付与される、という文化がある。もちろん政治力が高いからといって技術力を付与することは不可能だ。
その意味で技術志向の人が政治を無視して技術に専念しても取り分が0になることはない。逆に政治志向の人が他の技術者を無視して政治に専念したら取り分が0になりかねない。具体的にはベンチャー企業から政治志向の経営者だけを残して技術者全員が逃げてしまった場合とか。
総利得200の中の30%を取る方が100の中の50%を取るよりも理に適っている*2。素晴らしく平等だけど全員が微妙に不幸だという状況よりも不平等だけど底辺でもそこそこ幸福な状況の方が良いと私は思う。

*1:まあ、これは政治に基づいた決め方としても劣悪なものなのだけども。政治に基づいた正しい決め方は「技術に基づいて決める担当者を政治に基づいて決める」というものだろう。

*2:この数字は極論。実際は110の中の30%対100の中の32%のような程度の差かもしれない。