ゲームと物語

http://mubou.seesaa.net/article/39623197.html
FFの弊害と言ってしまっては難なのだけど、ゲームに物語を求める層が大半になったのは色々と不幸な歴史だと思う。
特に顕著なのはノベルゲームだろう。選択肢の少ないものが多い、特に『ひぐらしのなく頃に』には選択肢が一つもなかったとか、という点は色々考えさせられる。シナリオが分岐する程度なら単純に言えばhtmlだけでも実現できるわけで、その程度の双方向性だけでゲームと呼ぶのはちょっと苦しいのではないか。*1
物語を作るのは非常に時間がかかる。そのうえ分業による時間短縮効果がほとんどない。だから百人でブロックバスター的に作ってもあまり意味がない。むしろ百人がバラバラに作った百の物語から早く良くできたものを選別する方が効率が良いかもしれない。だから物語を描く媒体としては一人から多くても十人程度の規模で製作できるもの、つまりは小説や漫画、一応戯曲も、が適している。
映画の場合は、小説や漫画を原作としたり、個人製作による脚本の持込みを受け付けたり、という形である程度完成した物語を元に製作することが多い。特にハリウッドのブロックバスター作品などは完全な分業制を敷いていることも多いそうだ。
今のところ、日本のゲーム業界はそこまでの分業制を敷いていない。少なくとも脚本の持込みを受け付けている会社を聞いたことがないし、実際、単体で商売ができるような脚本がどれだけあるというのだろう。
ともかく、ゲーム製作において物語の比重が大きくなればなるほどボトルネックになりやすくなる。まあ、DSのミニゲームやモンハンなど、物語の比重の小さいヒット作が増えてきたし、私が心配することもないのだけど。

*1:東浩紀のように外部構造まで含めてゲームとしたなら日本最大のヒットゲームは2chになるだろう。