選択式個性

「自分自身の何か」ではなく「自分が選んだ何か」にアイデンティティを仮託している人は多い。もちろん、そのような行為は今に始まったことでなくて、宗教や思想を熱烈に信じている人、国家や企業に熱烈に仕えている人といった例を挙げるのは簡単だ。一消費者であるにも関わらず、特定の企業に対して溢れるほどの愛情を持ち「信者」と呼ばれるに至った人には感動すら覚える。
このような人たちに「凄いのはその(宗教|思想|国家|企業)であってお前じゃないでしょ」といった突っ込みが入るのを見ると悲しくなってしまう。彼らはその(宗教|思想|国家|企業)のために滅私奉公しているのであり、その(宗教|思想|国家|企業)が凄いこと自体が喜びなのだ、と。むしろ彼らは彼ら自身を褒め称えたとしたら困惑するに違いない。

と、まあ、書いてみたけれど。
実際にはその(宗教|思想|国家|企業)の凄さを自分の凄さだと勘違いしている人も多々いるようだ。これがもっと極端になると「その(宗教|思想|国家|企業)を選んだ俺凄い」になることさえある。その(宗教|思想|国家|企業)の凄さを前提にした上でその(宗教|思想|国家|企業)の凄さを認めないという。