反証可能性

http://d.hatena.ne.jp/lets_skeptic/20081216/p1
反証可能性」に大した意味はない。
それは経験科学にしか適用できないため。例えば、数学に「反証可能性」はないが、数学抜きで科学を語るのは難しい。もちろん数学や論理学をメタ科学として別枠に括れば解消されるが、今度は「メタ科学とは何か?」という問題が生まれる。それはただの先送りだ。
それでも「反証可能性」は以下の三つの前提を受け入れさせるために必要だ。

  • 理性に基づいて議論する。
  • もし自説に誤りがあればそれを認める。
  • 論拠としてはこの世界を最優先とする*1

まあ、この三つは単に議論を発展させるために最低限必要なものであり、特段に科学と関係があるというものではない。競技ディベートや一方的な演説、宗教家の説教といったものはいらない。相手とともに議論を組み立てることができるかどうかだけが問題なのだ。

*1:一応補足。SFやファンタジーの作中設定に関する議論では「この世界」を「その世界」と読み替える必要がある。例えば柳田理科雄のような(今更)、「その世界」を「この世界」の科学理論から批判するのは科学的態度から程遠い。こういう態度こそ「科学教」と呼ばれるべきだと思う。