「センス競争」に参加しないために必要な唯一のこと

http://anond.hatelabo.jp/20081220141008へブックマークコメントを書こうとしたら長すぎるのでこっちへ書く。表題はライフハック記事の真似。
まずhttp://d.hatena.ne.jp/kaien/20081219/p1の「漫画を巡る政治性」は極めて広範な語だ。「漫画」を特定作品に対して使ったり、ジャンル全体に対して使ったりしている。「巡る」や「政治性」はこの文脈でなくても極めて広範な語だ。だから混乱が生じる。
「センス競争」とは「(特定)漫画(作品)を巡る政治性」だ。「ピュアアピール」「超越アピール」は「漫画(評論ブログ全般)を巡る政治性」だ。http://d.hatena.ne.jp/kaien/20081219/p1は前者を否定しつつ、後者に該当するものになっている。それは矛盾でも何でもない。
で、ここから本題。
何らかの行為が政治性を持つかどうかを決めるのは「受け手が政治性を感じたどうかか」という一点しかない。送り手は「受け手が政治性を感じる」ように期待した何かを送ることもできるが、受け手が政治性を感じない限りそこに政治性が生じない。逆に送り手は何も送らないでいることもできるが、受け手が政治性を感じる限りそこに政治性が生じている。
「センス競争」に参加しないために必要なのは、「周囲の人間を一切無視する」ことではなく、「周囲の人間から一切無視される」ことだ。ここで言う「無視される」とは、いわゆる「シカト」のような、能動的に無視されるのでは不十分だ。人間の体も頻繁に貫通しているニュートリノのような、「そもそも存在に気付くチャンスすらほとんどない」というレベルで無視される必要がある。
こんなことを書いた理由。

  • 「センス競争」は能動的に参加・不参加を選べるようなものではない。
  • 「センス競争」に参加させられたとしてもゴールを目指さない自由はある。
  • 「センス競争」*しか*しないのは嫌い。紹介なり分析なりをした後の余興として「センス競争」するならOK。

そして一番大きな理由。

  • 小説・文学の業界はもっとエグい。「センス競争」を職業にしている人がたくさんいる。