人間か人形か

http://d.hatena.ne.jp/Britty/20090131/p1の話。
源氏の君の行動を数え上げて行くと本当に碌でもない。それでもあまり気にならないのは「人物」として認識していないからだと思う。例えば、源氏物語では登場人物の行動は描かれているが、心理は直接的にも隠喩的にもあまり描かれない。平安貴族がどのようなことを考えていたか、なんて類推するのも難しいのも含めて、いわゆる「人間が描かれていない」にも達していないと思う。これはもう舞台装置だと言っても構わないくらい。
だから「人間ドラマ」の色の強い宇治十帖よりも「御伽噺」の色が強い前半の方が私は好きだ。「人間が描かれていない」「御伽噺」は成立するのに対して、「人間が描かれていない」「人間ドラマ」は成立しないというのもあるだろう。そのような意味で「小説」として翻案する試みがもっとあっても良いかもしれない。
余談。「村上は日本文学の正嫡ではない」については『源氏物語』からいわゆる「日本文学」までに何度も断絶しているので微妙かも。日本文化(というものが一続きだったとして)の影響を両方とも強く受けているとか、そういった可能性はあるかもしれないけど。