精緻な理論

「精緻な理論」という言葉を聞くたび、むずむずする。
そう名乗るものが精緻であった例がないというのもあるし、理論ですらない例も多いというのもある。しかし、それ以前の問題として、「理論」が精緻であるという表現自体が変ではないか。
例えば、精緻な細工や精緻な比較というものは理解できる。精緻な作品や精緻な考察というものも何とか。それでも「精緻な理論」はないと思う。

理論ならざる「理論」

「精緻」とは技芸に関する形容だという点は了承してもらえると思う。それなら「精緻な理論」という語は理論ではなく、理論に関する技芸を指しているのではないだろうか。
つまり、きっと「精緻な理論」とは論証が精緻であるさまを指す。そのように考えると「精緻な理論」という語の用法が奇妙なほどに属人的だということとも平仄があう。