人権がフィクション?それは違うよ。

http://d.hatena.ne.jp/chnpk/20090509/1241862008の話。

もし「鉄腕アトム」で描かれるように、人工知能が高度に発達し、ロボットといえども人間と同じように感情を持つことがあれば、遅かれ早かれ、ロボットの人権は少なくとも人間と同程度には認められることになると思う。ただ、現状のロボットにはそれはない。ロボットの人権が認められた状態と現状との境界線はどこにあるかと言えば、きっと我々の過半数がロボットの意思を感じ、それが事実として受け入れられたときでは。

ロボットに人権が認められるようになるには、人工知能が発達する必要もないし、感情を持つ必要もない。ロボットを守りたいと思うことが当たり前になりさえすれば良い。人工知能や感情を備えていればロボットを守りたいと思う人が増えるかもしれないが、同時に敵として恐れる人も増えるかもしれない。

人格は人権よりももっと大きなフィクションだ。

宗教の影響力が強い社会では神に対する侮辱が重い罪になることがある。これを社会秩序に対する罪だとみなしている人はあまり多くないだろう。神の権利or権威を犯した罪なのではないのだろうか。もちろん、独我論哲学的ゾンビのような思考実験でもMatrixやグレッグ・イーガンのSFでも話は変わらない。倫理も道徳も法律も社会のありように極めて強く依存している。

極論をあげてみる。

例えば、身体・人格ともに完璧なバックアップが容易にできる世界があったとする*1。事故で死んでしまったとしても直前のバックアップから蘇生することができる。手違いで人を殺してしまった*2としてもバックアップからの蘇生料金+α程度の損害賠償で済むかもしれない。名誉毀損の方が重い罪とされていたとしても不思議ではない。

〆。

「ロボットより先にキャラクターの権利が認められることもありそう」という思いつきが発端。物体として存在している必要もないよねという。

*1:まあ、『ディアスポラ』なんだけど。

*2:故意に人を殺してもほとんど意味がないことに注意。