天才こそが問題なんだ

http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51218475.htmlのコメント欄が興味深かったのでメモ。

社会科学:経済学、政治学社会学、教育学
人文科学:哲学

ちなみに私は人文科学の世界で、弾なんか問題にならないくらいの知性の人を何人も知っている。

そう、人文学の世界には天才が何人もいる。名のある哲学者なら大抵、天才と呼ぶに値するだろう。名のある文学者なら、哲学と比べると人数比は大幅に落ちるだろうが、天才と呼ぶに値する人がいる。
しかし、それでも人文学、特に社会工学はあまり機能していない。それは何故か?

自然科学に天才はいらない。

もちろん、自然科学にも天才は沢山いる。
例えば、アイザック・ニュートンは間違いなく天才だろう。ニュートン力学だけではなく、微積分についても創始者(の一人)だ。現代で言えばノーベル物理学賞フィールズ賞を両方取ってついでに国務大臣を務めるような、史上稀に見る大天才だ。
しかし、現代、ニュートン力学は中学・高校で教えられている。中学校は義務教育、高校も進学率が極めて高いということを考えると、天才でなくてもニュートン力学を理解できる(少なくともそのように指導されている)ことは明らかだろう。
自然科学の強みは「世界自体の振る舞いを正しさの基準とする」という意識が共有されている点にある。そのお陰で天才が考え出したことを凡才でも理解できる。
天才は秀才よりもはるかに科学を発展させるかもしれないが、秀才だけでも能力差を越える人数がいれば何とかなる。その意味で自然科学には天才がいなくても良い。いた方が良いのだけど。

人文学の天才のこと。

人文学では正しさの基準が共有されていない。だから相手の正しさの基準を理解するところから始めなくてはならない。例えば、中学・高校でカントの『純粋理性批判』を教えることはない。哲学史の偉人の一人として名前と主著を憶えるのが関の山だ。
逆に正しさの基準が共有されていないからこそ、新しい基準を提唱することが比較的容易になる。それなりに容認されるような基準を提唱できた人は天才とみなされるだろう。
その結果が今の人文学だ。優劣を比較できない/されない基準が大量にある。それだけでなく今も増え続けている。

〆。

弾なんか問題にならないくらいの知性の人

という表現が強烈だったのでこのエントリを書いた。天才が多いというのは属人性が高いということと表裏一体なんだよ、という気持ち。
http://d.hatena.ne.jp/kilrey/20090503#p1http://d.hatena.ne.jp/kilrey/20090226#p1は関連エントリかも。