民話では能力や可能性という観点自体が希薄である*1。全ての出来事は起こるべくして起こるのであり、そもそも選択肢自体が存在しない。
逆に近代小説では各登場人物が内面を持ち/持つことになっており、作者の都合を別とすればあらゆる選択肢を選ぶことが出来る。唯一の選択に対する予感を全ての選択肢に均等に分配すると*2、一つ一つの選択はほとんど意味をなさなくなってしまう。少なくとも選択肢を探る労力が有限の値である限り、それに見合うものにはならない。
このような計算に意味があるとは思えないが、選択肢の増やしすぎは良くないということだ。