誤解するのが悪いのか、されるのが悪いのか
もうすでに本筋を離れてしまっているのでリンクはしない。
まず何かを伝達する場合、
- 作者の意図
- 実際の表現
- 読者の理解
という三段階を少なくとも経る必要がある。
さて、何かが「誤解」というのはつまり「作者の意図」と「読者の理解」がずれているということだと思われているかもしれないが、それは違う。「作者の意図」と「読者が推定した『作者の意図』」がずれることが「誤解」なのだ。
その意味で「誤解」には何の価値もない。推定が当たっていればそれでお終いだし、当たっていなければ単なる邪推にすぎない。そこからは専門用語としての「誤読」、つまり「作者の意図」とは独立して「読者の理解」が価値を持つ、という状況には至らない。