「判りやすさ」の問題

http://d.hatena.ne.jp/kilrey/20090426#p1に関する話。http://local.joelonsoftware.com/wiki/Java%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%81%AE%E5%8D%B1%E9%99%BAに関する話でもある。

判りやすい/判りにくい

  • あるテーマに関して教育を行う。
  • 「判りやすい教育」と「判りにくい教育」という二つのコースがある。

という状況を考える。大抵の初心者は「判りやすい説明」を読み、そのテーマに関して学ぶことだろう。毒にも薬にもならないようなテーマならそれでよい。
しかし、ここには隠れた仮定がある。

  • 「判りやすい教育」と「判りにくい教育」とは全く同じ内容を説明している。

というものである。
テーマのごく一部しか説明していないのならその説明が判りやすくなるのは当然だ。逆にテーマの全体を説明しているのならその説明が判りにくくなるのは当然だ。粗雑な近似を行えば

  • 「判りやすさ」=「学べる内容」÷「教え方の上手さ」*1

となるかもしれない。
「判りやすい簡易教育」と「判りにくい本格教育」とを比べるのはナンセンスだ。簡易教育で充分なのか、本格教育が必要なのか、を考慮する必要がある。

譬え話

テーマとして「車の運転」を考えよう。「AT限定免許取得」と「MT可免許取得」という二つの教習コースがある。技能教習時間は「AT限定免許取得」が31時間、「MT可免許取得」が34時間だった。
では、どちらの教習を選ぶべきだろうか?
状況によって答えが変わることは明白だ。例えば、次のように。

  • 自動車で買い物に行きたいだけなら「AT限定免許取得」で十分かもしれない。
  • 海外で借りた自動車に乗るのなら「MT可免許取得」の方が良いかもしれない。
  • 大型特殊免許を取りたいのなら「MT可免許取得」を取った後、「大型特殊免許取得」の教習コースを受けなくてはならない。

「AT限定免許取得」は「MT可免許取得」よりも出来ることが少ない。だから「AT限定免許取得」では出来ないことをしたくなったら「AT限定解除」の教習コースを受けなくてはならない。

〆。

問題なのは両者の違いが明らかになっている分野すら少ないという点だろう。この違いを意識しない限り「出来ること」と「出来ないこと」との境が意識できない。

*1:これらの変数は順序尺度なので、この式が成り立つように定量化する必要がある。つまり、トートロジーにすぎない。