理論的背景

PPEGについてちょっと考え直してみたら、PEGを生成するParser Combinatorという扱いになるようだ。Parser CombinatorというとHaskellのものが有名だが、今回の用途だと向いていないかもしれない。とりあえず、このままschemeで書く。stalinでもコンパイルできれば良いなあ。

図書館とBLの三つの問題

http://d.hatena.ne.jp/natsu_san/20081229/1230585137の話。この件に関しては少なくとも

  • 同性愛
  • ポルノ
  • 商業性

の三つの問題が混在している。

BLは同性愛なのか。

図書館の理念からすれば「同性愛に対する偏見を減らすためにも同性愛に関する書籍を図書館に置くべきだ」という意見は正しい。
でも「その目的のためにBL小説を」という意見は単なる後付けの理由だと思う。作者も読者も編集者も大半が同性愛者でないようだし、現実の同性愛者について調査しているわけでもないようだ。要するにBL(や同性愛文学)を読んでBLを書いているという状況だ。その結果、現実から遊離した独自ファンタジーの世界と化したのではないかと思う。

図書館はポルノを扱うべきか。

「性愛文学」というジャンルがある。渡辺淳一団鬼六が書いているような、「文学性とポルノ性の両立を目指した」(成功したかどうかは別)作品群のことだ。
しかし「文学性」というものは極めて曖昧な概念だ。「多くの読者がその作品に文学性を感じるかどうか」が重要であり、BL小説に「文学性」を発見するような読み方が広まれば大きく評価が変わることは間違いない。
その点で「図書館に性愛文学を置いても構わないが、BL小説を置くべきではない」という意見は単なる階級主義にすぎない。それも貴族の是非を疑わない貧民が奴隷を虐げるような類のものだ。

図書館は商業性を持つべきか。

BLに限ったことではなく、ポルノは娯楽性と商業性の極めて強いジャンルである。そういった商業性の強いジャンルでは、街中の書店で手に入るのはこれから売りたい最新刊と既に売れている定番のみ、数年前の作品が欲しければネットオークションを探す方が確実だ、といった状況が起こっている。出版社によっては経費節減のために国会図書館への納入も怠っており、研究を行うにも個人のコレクションに頼らざるを得ない。
そういった状況だと開架に置くかどうかは些細な問題だ。むしろ対象点数が多すぎるのだから一点でも多く収蔵する方法を考えるべきだろう。例えば、国内の図書館で分担するとか、BL担当図書館を作るとか、倉庫収蔵にするとか。規模は小さいものの複本問題と重なる部分があるのではないか。
とりあえずOPACを使えば問題のいくらかは解決するし。http://metro.tokyo.opac.jp/

感想。

積極的に叩こうとする人がいて積極的に擁護する権威がいなかったから大きな問題になっただけで、他のジャンルにも同様の問題が起こる可能性は常にある。ミステリやノワールの暴力描写、SFやファンタジーの宗教描写が時折問題にされているように。
文化への影響の大きさを考えると、図書館はBLよりも漫画や映像を先に増やすべきではないかと思う。それから学術入門書ももっと幅広く買ってほしい。でも、まず予算枠を増やさないと。

図書館の役割

図書館は「知る権利」を守るために「情報」を提供している。問題はどんな「情報」を提供するかという点だと思う。
図書館は制度・設備ともに蓄積した書籍資料、つまり「よく整理された過去の情報」を提供するようにできている。それ以外の情報を提供しようとしてもあまり効率が良くない。例えば、TVニュースほど最新の情報を提供することができないし、インターネットほど大量の(雑多な)情報を提供することもできない。
図書館以上に優れた「よく整理された過去の情報」を提供する者がいない以上、現在の利用者のために「よく整理された過去の情報」を提供し続けるべきだ。そして未来の利用者のために「現在の情報」を整理しておく必要がある。現に10年や20年も経てば散逸してしまうような資料が流通しているのだから、それらを収集することも図書館の仕事のうちだ。
要するに図書館が「情報」を提供する先は10年後、100年後、1000年後の人間も含むのだという話*1

*1:本来、そういった公益的な分野だから税金で運営されているのだよね。資料というものはしばしば本来の用途と全く別の用途が後から発見される。江戸文化の研究には個人の日記や商家の帳面が重要といった具合。だから浅くても幅広い資料を残しておく必要がある。文学でも当時の権威が後代に全く顧みられなくなったという例は多い。