「市民運動」は要らない。

http://www.j-cast.com/2009/01/01032977.htmlの「毎日新聞変態記事事件」に対する騒動について。
従来の「市民運動」の問題は

  • そうでないにも関わらず市民の代表であるかのように名乗っていた。

という点だと思う*1
例えば、左翼の「市民運動」は右翼的な市民の意見を取り入れず、右翼的な市民は「市民」ではないといった風に扱うことが多かった。右翼の「運動」は「市民運動」を名乗らないが、それほど振る舞いが違うわけでもない。サヨク・ウヨクの「市民運動」は特定少数が行っており、大多数の市民から無視されている。
基準をどこに置くかの問題でもあるが、過半数すら取っていないのに代表を名乗るのはどうかと思う*2。それに対して本騒動はまとめサイトなどを見る限り

  • 自分たちは「個人」の集まりである。
  • 自分たちの行為は暴力である。

といった点に自覚を持っている人が多いようだ。「正義感に基づいた行為であっても正義ではない」というのは良い線引きだと思う。「天誅」ならぬ「人誅」といったところか。

*1:他にも問題はあるが、この話と関係ないので省く。

*2:ボルシェビキもそういう命名法らしい。伝統なら仕方ないとは言いたくないが。